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東京地方裁判所 昭和56年(ワ)10867号 判決

原告 旭鋼業株式会社

右代表者代表取締役 石上元久

右訴訟代理人弁護士 倉田雅年

同 中村光央

被告 国

右代表者法務大臣 秦野章

右指定代理人 須藤典明

〈ほか二名〉

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一六二七万〇七九五円及びこれに対する昭和四五年三月一一日から支払済みに至るまでに年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四四年一二月二〇日に、訴外三洋土地株式会社(代表取締役水谷正信。以下「訴外会社」という。)との間で、訴外水谷正信所有名義の横浜市南区永田町字堂ノ谷一〇一九番四(その後昭和四五年九月九日付分筆により一〇一九番四及び同番九七となる。以下「本件土地」という。)一〇一九番六八、一〇一九番七〇(但し、この筆については共有持分二分の一のみ)の各土地(別紙公図写中赤斜線部分)を、公簿面積は合計七四〇平方メートルであるが相当の縄延びのある実測面積で合計一九〇〇坪の土地として、売買代金を坪当り金一万四〇〇〇円合計金二六六〇万円で買受け、同日代金の内金八〇〇万円を、同四五年三月一〇日までに現金一八六〇万円を支払い、横浜地方法務局昭和四五年三月一〇日受付第九一四一号をもって右各土地につき訴外水谷正信から所有権(一部共有持分)移転登記手続を受けた。

2(一)  ところが、その後訴外服部君枝が本件土地内に自己所有の横浜市南区永田町堂ノ谷一〇〇四番なる土地があると主張するので、原告は、昭和四六年六月に同訴外人に対し、横浜簡易裁判所に土地所有権確認請求訴訟を提起し、同訴訟はその後横浜地方裁判所に移送されて同庁昭和四六年(ワ)第一四〇三号事件として係属した。

(二) 右第一審判決は、訴外服部所有の横浜市南区永田町字堂ノ谷一〇〇四番山林四五〇九平方メートルの土地が原告の取得した土地の範囲内に位置し、その境界線は永田町字堂ノ谷一〇一九番六七の南側から左カーブに湾曲して南下する線であるとし、該境界線が横浜地方法務局備付の公図上に元は存在していたとの前提に立った上で、それが損傷によるものか故意によるものか明確ではないが消えたと認定して、原告を敗訴させた。

(三) 原告は、右判決を不服として東京高等裁判所に控訴(昭和五一年(ネ)第五七九号事件)したが、昭和五二年一〇月四日の判決により同じく右境界線は存在するとの理由で控訴を棄却され、更にこれを不服として最高裁判所に上告(昭和五二年(オ)第一三七四号事件)したが、結局昭和五三年三月二八日の上告棄却の判決により、原告は取得した筈の本件土地の内四三三九・七七平方メートルを失うことになった。

3  もとより、原告は、本件土地を買い受けるに際し、横浜地方法務局備付の本件土地附近に関する公図(以下「本件公図」という。)の写しを閲覧し、その記載を信用して右売買契約をしたのであるが、本件公図には、右売買契約当時横浜市永田町字堂ノ谷一〇一九番四と同所一〇〇四番とを区切る境界線はなかった(もし、その様な境界線が本件公図上に存在したのであれば、前記昭和四五年九月九日の分筆によって生じた一〇一九番九七の土地は、同境界線を跨ぐことになるので同分筆は出来なかった筈である。)。

4  もし、第一審裁判所の認定の通り本件公図上に境界線が元は存在していたが消えてしまったのであれば、右法務局登記官は公図に対する保管義務及び閲覧監視義務を怠った過失があるし、又仮りに境界線が元から記入されていなかったのだとするならば、被告国が不動産取引に重要な機能を営んでいる公図に最も重要な境界線の記入を怠ったままこれを閲覧に供していた過失があることになる。

5(一)  原告は、本件公図が不備であったために、本件土地につき対価を支払いながらこれを取得し得なかったところ、原告が合計一九〇〇坪として代金二六六〇万円で買受けた土地の面積はその後の実測によれば実際には七〇九四・七九平方メートルであったから、原告が取得し得なかった土地の対価として支払った金員、即ち被告の不法行為により原告が被った損害は金一六二七万〇七九五円である。

(二) もし、右法務局登記官に前記の如く過失がなければ、本件公図の一〇一九番四中に南北に走る湾曲した実線が記載されていたはずであり、右記載があれば、原告は本件三筆の土地を実測面積一九〇〇坪の土地として買受けなかったことは明白であるから、右法務局登記官の前記過失と原告の受けた損害との間には相当因果関係がある。

6(一)  ところで、原告は前記控訴審の始まった段階において昭和五一年八月六日付訴訟告知を以て同訴訟を告知したが、被告は同訴訟に参加しなかったので、原告の前記敗訴理由に不服は述べ得ないから、被告は国家賠償法第一条により原告に対し右損害を賠償する義務がある。

(二) よって、原告は、被告に対し、前記損害金一六二七万〇七九五円及びこれに対する売買代金全額の支払完了の日の翌日である昭和四五年三月一一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、原告が訴外水谷正信から、横浜地方法務局昭和四五年三月一〇日受付第九一四一号をもって、横浜市南区永田町字堂ノ谷一〇一九番四、同番六八につき所有権移転登記を、同番七〇につき共有持分移転登記をそれぞれ受けたことは認めるが、その余の事実は知らない。

2  同2の事実中、原告と訴外服部君枝との間の土地所有権確認請求事件(横浜地方裁判所昭和四六年(ワ)第一四〇三号)判決に対して原告が控訴し、東京高等裁判所昭和五一年(ネ)第五七九号事件として係属したことは認めるが、その余の事実は知らない。

3  同3の事実は知らない。

4  同4の事実は否認する。

5  同5の事実は否認する。

6  同6の事実中、被告が昭和五一年八月六日付け訴訟告知書により訴訟告知を受けたこと及び被告が訴訟に参加しなかったことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。

三  被告の主張

1  (損害について)

(一)(1) 本件売買契約に際して、訴外会社はもとより原告会社も本件土地、横浜市南区永田町字堂ノ谷一〇一九番六八(以下「A地」という。)、同番七〇(以下「B地」という。)の三筆の土地を実際に測量することはせずに、ただ訴外会社の代表取締役である水谷正信が見当で「実測一九〇〇坪」と決定し、原告会社の石上舜而も右水谷を信用して実測一九〇〇坪として本件契約を締結したものである。

そして、右三筆の土地を現実に測量してみて著しく少ないような場合には、特に明確な約定はしていなかったが、両者の間でその処理を協議することを前提としていた。

(2) してみると、本件売買契約は、公簿上で七四〇平方メートル、実測で一九〇〇坪と表示されていたが、これをもって直ちに、当事者間において、実際にその坪数があることを確保したものとみることはできないというべきであり、したがって、実測面積が一九〇〇坪なくても、これによって、原告が直ちに売主に対して何らかの請求をなしうることにはならない。

(3) そうすると、本件は、原告会社について、他人に対して請求しうる損害が現実に発生しているとはいえない。

(二) 本件売買契約は、売買の目的たる権利の一部が他人に属する場合に該当するから、原告は、民法五六三条一項により、売主に対し、原告主張の金額と同額の代金減額請求権を有することとなるのであり、したがって、原告にはいまだその主張に係る損害は発生していない。

仮に、原告が民法五六四条所定の期間内に右代金減額請求権を行使しなかったことにより右請求権が既に消滅しているとすれば、それは原告が自ら招いた損失であって、被告の作為又は不作為と何らの因果関係を有するものではない。

(三)(1) 原告会社の主張によれば、原告会社は本件土地の売買契約によって実測一九〇〇坪(六二七〇平方メートル)を取得すべきところ、実際に測量したところでは、二七五五・〇二平方メートル取得したのであるから、その面積の差は三五一四・九八平方メートル(以下「相違面積」という。)あることになる。

(2) 本件代金二六六〇万円を右の面積比で按分してみると、相違面積に対する金額は一四九一万二〇三六円となる。

26,600,000×3514・98m2/6270m2=14,912,036円

(3) さらに、右の相違面積は、本件土地、A地及びB地の三筆の土地の一括売買によって生じたものであり、仮に、縄延びが本件土地について最も多く生じうるとしても、A地及びB地についても縄延びがないとの証明はないから、右一四九一万二〇三六円全額が本件土地について生じたということはできない。

ちなみに、相違面積に対応する代金一四九一万二〇三六円を、仮に、本件各土地の公簿面積に応じて按分してみると、本件土地に対応する金額は六七一万〇四一六円となる。

14,912,036×333m2/740m2=6,710,416円

(4) したがって、原告会社の請求は、この点からみても過大なものといわざるを得ない。

2  (因果関係について)

(一) いわゆる公図の沿革等

いわゆる公図(以下「公図」という。)は、もともと地租徴収の基礎資料とする目的で明治六年の地租改正のころから明治中期にかけて作成されたものであるところ、その作成に当っては、まず地元住民、戸長、総代人等が素朴かつ未熟な測量技術を用いて、一筆ごとの筆限図を作成し、これをつないで字限図、村限図を作成し、これを時の官吏が現地に赴いて確認するという手順を踏んだものといわれており、それ故に公図は必ずしも土地の現況を正確には反映していないのであり、このことは一般に認識されているところである。

このように、粗雑で精度の低い公図についてはその後いわゆる地図更正による手直しが行われたものの、これまた、まず地元による素朴かつ未熟な測量が行われたのち、官吏が検査し補正するという手順を踏むことにより若干の精度の改善はもたらされたとはいえ、いまだその正確性は担保されないままに、明治二二年の土地台帳規則及びこれを引継いだ昭和二二年の土地台帳法に基づく課税台帳たる土地台帳の附属図面として税務官署において保管管理されてきたのである。

昭和二五年、地方税法の施行と時期を同じくして、土地台帳法等の一部を改正する法律が施行され、同法施行細則二条一項により公図は登記所に備える地図となったのである。

ところが、昭和三五年の不動産登記法等の一部を改正する法律により右土地台帳法が廃止されたのに伴い、同年三月三一日不動産登記法施行細則の一部を改正する省令一六条で土地台帳法施行細則が廃止され、公図は登記所に備える地図としての法的根拠を失うこととなったが、従来の経緯等から登記所の内部的参考資料として事実上登記所に保管され続けることとなった。その後も一般の閲覧等に供されているとはいえ、これは行政上のサービスに過ぎず、不動産登記法一七条の規定による地図が整備されるまでの暫定的措置に止まり、公図には同法二一条一項の適用はなく、公図は公の証明力を全く有していないものである。

このような公図の沿革、公図の意義からして、一般に公図は不動産取引に際し、一応の参考資料としてのみ用いられている実情にある。

(二) 公図と公図写しの相違

原告は、「本件土地買受けに際し昭和四四年一二月中旬ごろ原告会社のオーナーであり本件土地の買受けについての代理人であった石上舜而が売主から甲第一一号証の公図写しを見せられ、原告会社としては右公図写しにより元図である公図の記載内容を信用し、買受けの意思決定をした」と主張するが、原告が売主から見せられた法務局備付けの公図を写したとする甲第一一号証は、右公図との相違が一目瞭然であり、真実右公図を写したものであるとは考えられない。

したがって、原告が甲第一一号証を見せられ、これを信用して本件土地の買受け決定をしたとの事実の真偽はとも角として、甲第一一号証が法務局備付けの公図の真実の写しでない以上、甲第一一号証に基づいてなされたとする右買受けの意思決定と右備付けの公図との間には因果関係は全くない。

(三) 原告の重過失

原告会社は、本件契約に際して、目的たる三筆の土地の公簿上の面積と訴外会社の水谷のいう実測面積とが極端に相違しているにもかかわらず、訴外水谷を信頼して、後記の不動産を購入する者が通常行う調査すら行なわなかったのであるから、原告会社が被ったと主張する損害は、原告会社自らが発生させたものであって、被告に何らかの過失があったとしても、その間に相当因果関係はないというべきである。

すなわち、本件不動産購入に当たった原告会社の石上舜而は、訴外水谷が提出した不正確な公図の写を見ただけで、直接に法務局備付けの「公図」を閲覧したわけではなく、また、「実測」と称する面積と公簿面積とが著しく違っている場合に最も重要な土地の測量を怠ったほか、土地分合筆による地積の変化(原告会社は、分合筆による縄延びをいうが、各土地が必ずしもそのような位置関係にないことは明らかである。)、所有権移転の経過、境界線や境界紛争等の有無の確認、本件土地について他に所有権を主張する者が無いか等の一般的に不動産を購入する者がなすべき調査を怠ったのであり、しかも、このような調査を行っていれば、前記服部の出現などによって、容易に原告が本件の損害と称する事態の発生を未然に防止しえたことは明らかである。

そうすると、仮に、公図の管理につき被告に何らかの過失があったとしても、原告会社の主張する損害との間には、相当因果関係がないというべきである。

3  (過失相殺)

仮に、被告に損害賠償責任があるとしても、原告にも右2(三)に記載した過失があるから、損害賠償額算定にあたり、過失相殺がなされるべきであって、被告の過失の割合はせいぜい一割程度にとどまるというべきである。

第三証拠《省略》

理由

一  本件土地の売買契約の経緯、内容について

請求原因1の事実中、原告主張のとおり登記がされていることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができ、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

1  昭和四四年一二月二〇日訴外会社(不動産取引業)の代表者である水谷正信と原告会社のオーナーであった石上舜而との間で、訴外会社を売主、原告会社を買主として、本件土地、A土地及びB土地の三筆の土地を、公簿面積は合計七四〇平方米であるが、実際には大巾の縄延びがあり合計一、九〇〇坪(六、二七〇平方米)の土地であるということで、坪当り金一万四、〇〇〇円の割合で代金合計二、六六〇万円で売買契約(《証拠省略》中に、実測一、九〇〇坪と記載されているが、後述のとおり、水谷も石上も実測はしていないので、実測という記載は正確なものではない。)が締結され、同日代金の内八〇〇万円、昭和四五年三月一〇日までに残金一、八六〇万円が支払われ、同年三月一〇日所有権移転登記手続が完了した(前述のとおり、登記手続を経由していることについては当事者間に争いがない。)。

2  訴外会社が原告会社に売渡した右土地は、地目、現況とも山林(現況は、傾斜地に雑木と笹が生えている原野のような土地)で、訴外会社が売買の直前である昭和四四年一二月八日頃に実測をしないで大体一、九〇〇坪位あるということで購入したものであるが、右附近の土地は以前に日本信販株式会社がいったん合筆してそれを分譲していったところで、本件土地は分筆の残地にあたる土地であったので、訴外会社は相当の縄延びがあると考えて購入した土地であった(水谷は、北西の隣地も約二倍位の縄延びがあったと聞かされていた。)。

3  それで、訴外会社の原告会社に対する本件売買にあたっても、水谷は石上に公図の写し(甲一一号証。同号証は訴外会社の従業員が法務局へ行って罫紙に公図を写してきたものを、水谷がつなぎ合せて作成したもの。)を示し、本件土地は沢山の縄延びがあり実際は一、九〇〇坪あるだろうということで売買の話を進めたものであるが、水谷は実測をしたことはなく一九〇〇坪というのは現地と公図の写しとを対照して大雑把な見当で言ったものであった。

4  石上は、右契約の締結の一週間位前に一回水谷の案内で現地を見ているが、売買の対象土地は公道の北側に位置している傾斜地であると案内され、大体公図の写(甲第一一号証)と位置、地形が一致することを確認したが、境界の確認も実測もせず水谷の言葉を信用して購入している(実測が一、九〇〇坪と相違していた場合、その処理について明確な約定はしていないが、当事者間ではその処理を協議することを前提としていたものと推認できる。)。

石上は、契約後で移転登記前の昭和四五年二月一九日頃に水谷に改めて専門家の作った公図の写を要求し、水谷は司法書士古崎泰也に依頼して公図(甲第二号証)を取寄せ石上に手渡している。訴外会社の作成した公図の写(甲第一一号証)、古崎の作成した公図の写(甲第二号証)によると、いずれにも、右一、〇一九番四の土地の中には一、〇〇四番との区切りを示す実線(筆界線)は表示されておらず、当時の法務局備付の公図には、右実線が入っていなかったことが推認できる。

5  右移転登記の後になって、服部君江から同人所有の同所一、〇〇四番の土地が公図上の一、〇一九番四の土地の中のかなりの部分に存在していると主張がされたので、原告会社と服部との間で訴訟となったが、原告会社は第一審、控訴審、上告審ともに敗訴し、服部所有の一、〇〇四番の土地と本件土地との境界は同所一、〇一九番六七の南側から左カーブに湾曲して南下する線であるということで確定し、結局原告会社は一、〇〇四番の土地にあたる四、三三九・九七平方米の土地を取得できないことになり、原告会社が現実に取得したのは、右三筆の公簿面積の合計である七四〇平方米の三・七二倍にあたる二、七五五・〇二平方米となった。

6  石上は、右訴訟が提起された後、昭和四五年九月頃、公図には一、〇一九番四の中に一、〇〇四番との境界を示す実線がないことを明らかにするために、石森信男司法書士に依頼して、服部の主張する右一、〇〇四番の土地を跨ぐ形で一、〇〇四番の土地の存否をテストする趣旨で、一、〇一九番四から一、〇一九番の九七の分筆登記手続を行ない、分筆登記手続は支障なく完了している。

7  横浜地方法務局備付の公図には、昭和四四年頃、同所一、〇〇四番の表示及び一、〇〇四番と一、〇一九番の四の境界を示す表示(筆界線)はなかったと推認されるが、これは損傷によって消えたものか、故意に抹消されたものかは明確ではない。

二  原告会社の損害と公図の不備との間の因果関係

右認定事実によると、原告会社は訴外会社から本件土地、A土地及びB土地を公簿面積は七四〇平方米であるが実際はその約八・五倍の一、九〇〇坪の広さがあるという説明と公図の写(甲一一号証)を示され、現地に一度案内されただけで、境界の確認も実測もせずに買入れたことが認められる。この売買の経過に照らすと、前認定のとおり、公図(公図の写)に一部脱洩があり、一、〇〇四番の土地の存在、同土地と一〇一九番四との筆界線が表示されていなかったので、原告会社が公図の写を見て本件土地が相当広い土地であると考えたとしても(《証拠省略》によると、公図はもともと明治中期頃に地租徴収の基礎資料とする目的で、未熟な測量技術を用いて作成したもので、地形については一応の拠り所になっても、面積については正確に測量されて縮尺されているものではなく、就中山林の面積については不正確なことが広く知られているものと認められる。)、本件土地は地目、現地とも山林でしかも傾斜地であり、日本信販が合筆して分譲していった残地であったのであるから、公図の記載と現況との間には相当の異動のあることが当然に考えられる土地であったといえる。

原告会社が本件売買により一、九〇〇坪の土地を取得できず損害を被っているとしても、その損害は、原告会社が境界の確認も実測もせずに買入れたこと、売主の説明を全面的に信用したことに主に基因するものであり、公図の不備との間に相当の因果関係があるとは到底いえない(前述のとおり、訴外会社は本件土地の北西部の隣地の縄延びは約二倍と聞かされていたのに、原告会社は公簿面積の三・七二倍にあたる二、七五五・〇二平方米の広い土地を取得していること、また売買対象土地が一、九〇〇坪と相違したときには、当事者間でその処理を協議することを前提として取引をしていたことが認められる。)。

なお、原告会社は別訴において、被告に対し訴訟告知をしているので、被告は国家賠償義務を負うと主張するが、別訴は公図の不備と原告会社の損害との間の因果関係について争われたものではないので、この点について右訴訟告知の効果が及ぶものではない。

三  以上の次第であるので、原告の本訴請求はその余の点について判断する迄もなく失当であるので棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 山田二郎)

〈以下省略〉

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